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ビーナス アロー ダイヤモンド

ダイヤモンドの街 ベルギーのアントワープ

フランドル地方とダイヤモンド

オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部で構成される地域は、中世からフランドル地方と呼ばれてきました。 かつてこの地域は、毛織物産業の中心であり、アムステルダム、ブルージュ、アントワープ、ブリュッセルなどの都市(★地図参照)は、その時代時代の世界貿易の中心として栄えました。富裕な商人達の下、フランドル絵画に代表される高度な文化が生まれました。

ベルギー周辺地図ベルギー周辺地図(フランドル地方)

ダイヤモンドは、古代にはインドで採掘され、陸路により、ギリシャ、ローマに伝わりました。中世以降には、少量のダイヤモンドの原石が、ゴア(インド)、インドネシアなどから、海を利用して運ばれました。原石は、ベネチア(イタリア)、リスボン(ポルトガル)、★ブルージュ(ベルギー)、アムステルダム(オランダ)に輸送され、その他の宝石とともに取引されました。

1475年、伝説によると、ブルージュのダイヤモンド研磨職人ベルケム・ルイ・ドは、ダイヤモンドをダイヤモンドパウダーで研磨することを発明したといわれています。これが、現代に通じるダイヤモンド加工の夜明けとなります。

その後数百年間、フランドル地方では、ダイヤモンドや宝石の研磨は、職人の秘伝の技術とされ、家内工業的に代々技術が伝えられてきたのです。

アムステルダムからアントワープへ

1725年には、ブラジルからダイヤモンドが採掘されるようになったこともあり、アムステルダムはダイヤモンドのカットと貿易の最も重要な中心的存在になり、それは1930年代まで続きました。 一時は産出が少なくなった時期もありましたが、1866年、南アフリカで大量に品質の良いダイヤモンドが採掘され、ダイヤモンド経済は、急激に発展しました。

ところが、1930年代、アムステルダムでは、労働条件や税金の問題から、急激にダイヤモンドにおける中心的な力は衰え、多くの職人達は、一気にベルギーのアントワープに移動してしまいました。それ以後は、ダイヤモンドにおけるフランドルの中心はアントワープとなり、現在に続きます。

アントワープの街並

アントワープ市の中心から、オランダ国境に至る田舎的な町には、ダイヤモンド研磨の職人達の家が普通に存在し、代々続く伝統的な家内工業として発展してきました。

ダイヤモンド原石市場 アントワープ

ダイヤモンドの原石を品質やカットの仕方で細かく分類すると、限りなく細かくなります。 そのために、研磨業者にとって、最も欲しい原石を選ぶ作業が重要です。原石を集積し、仕分けし、分類する場所、そして取引する場所としてアントワープの原石市場は存在します。

世界各地の個性的な多くの原石、研磨に携わるごく一部の人々の閉ざされた空間。ビーナスアローダイヤモンドは、このような伝統的な技術と歴史のある場所---アントワープだからこそ、カットできるのです。

筆者:吉田良(株式会社ヨシヨシ

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